現在、NFL(National Football League)は、NFCとAFCの2つのカンファレンスに分かれてます。
それぞれ
NFC(National Football Conference)
AFC(American Football Conference)
という名前になってます。
「なんでこんな名前なんか?」というと、「以前AFLというリーグがあったから」です。2つのリーグが合併して、NFLという大きなリーグが誕生したのが1970年。それまではそれぞれ独立していました。
今回はそんなAFLについて記事を書いてみます。日本でNFLがもっと浸透しますように。
1960年より前、アメフトチームは12チームしか無かった。
アメリカ最古のチームがアリゾナ・カーディナルズです。モーガン・アスレチック・クラブと言う名前の地域クラブチームとして1898年に設立されたのが前身です。その後1913年に「シカゴ・カーディナルス」として正式設立されます。
その後は
1919年 CHIベアーズ、GBパッカーズ
1925年 ニューヨーク・ジャイアンツ
1930年 デトロイト・ライオンズ
1932年 ワシントン・レッドスキンズ
1933年 PHIイーグルス PITスティーラーズ
1936年 クリーブランド・ラムズ
1946年 CLEブラウンズ、SF49ers
1953年 ボルチモア・コルツ
こんな感じでチームが増え、1955年ごろは合計12チームでした。
ダラスにNFLチームを新しく作りたかった石油王
チームが増えて試合も加熱し、ビジネスとしても魅力を持ち始めてました。いよいよ国技認定だなとか、俺の街にもチーム作ろうなど、各地で盛り上がりを見せ始めた1959年。
ダラスの石油王だったラマー・ハントが、自分の町にNFLのチームを作ろうと誘致に動いたんだけど、、、NFLが反発します。
NFLはダラスにカウボーイズを作る
それどころか、NFLは対抗するように、ダラスに新チームを作ってしまいました。それがダラス・カウボーイズです。
NFLに抵抗する形でAFL発足に動き出す
カチンときたラマー・ハントは動き出します。同テキサス州ヒューストンでビジネスを大成功させた、石油王バド・アダムスに声をかけます。
「俺らで新しいリーグを作ってやろう、名前はAFLがいい!」バド・アダムスも、ハントの熱い志に共感し、ハントはダラス・テキサンズを設立し、アダムスはヒューストン・オイラーズを設立しました。
AFL構想は全米8都市にフランチャイズを置く計画でした。二人は全米各地のビジネスマンに声をかけます。二人はダラスとヒューストン以外の6都市に働きかけ、ほぼ目的を達成。しかし、失敗したのがミネソタ州のミネアポリスでした。
というのもNFLは、AFLに動いていたミネソタをNFL側に引き抜いたんですね。それが現在のバイキングスです。そのため、この写真には8都市構想なのに、7人のオーナーしか写っていないというわけです。
その後、AFLにはオークランドがフランチャイズになることが決定。
ダラス・テキサンズ(KCチーフス)
ヒューストン・オイラーズ(テネシー・タイタンズ)
ボストン・ペイトリオッツ(NEペイトリオッツ)
NY・タイタンズ(JETS)
バッファロー・ビルズ
オークランド・レイダース
ロサンゼルス・チャージャーズ
こうして、合計8つのチームが1960年に誕生し、AFLという独立リーグがスタートしました。このリーグはNFL同様に優勝決定戦もあり、Hall of Fameもありました。テレビ放映などもされており、着実に人気を高めていっていました。
AFL レベニューシェアの発想で成長飛躍
ダラス・テキサンズからスタートしたものの、NFLはやっぱり商売上手で、カウボーイズの人気にはなかなか勝てん。ラマー・ハントはカンザスシティにフランチャイズを移して、チーム名もチーフスに変更します。
で、上手いことやったのがレベニューシェア。ラマー・ハントはAFLの試合放送権をABCと契約します。そしてその利益をAFLの全てのチームに均等分配しました。(この発想は現在もNFLに残ってます)
これで各チームが元気になってリーグに活気が溢れてきました。マイアミからはドルフィンズが産まれ、シンシナティ・ベンガルズが誕生。全部で10のチームとリーグも拡大。1965年に新しくNBCと値上げして契約をまきなおし、1チームあたりの予算はNFLと大差がなくなりました。
ついに1970年AFLとNFLが合併する
しかし両リーグが経済的に潤いましたが、同時に問題が発生しました。
①学生はAFLかNFLかどちらか迷う。
②契約額増大など競争加熱
③スター選手が別リーグに所属することに
④エンターテイメントとして魅力が減少する
大学でアメフトをしてプロになろうという学生は、NFLかAFLか、迷うようになりました。どのチームも遜色ないほどの年俸契約を結んでくれるからです。こうして、各リーグとも人材の取り合い合戦が発生。しかし、少ないスター選手が別リーグに分かれてしまうと、アメフト業界全体は面白くなくなる。
このジレンマを解消しようと、AFLの創設者であるラマー・ハントと、当時のNFLコミッショナーのピート・ロゼールは話し合いの席を設けました。そして2つのリーグを合併して、NFCとAFCの両カンファレンスでフットボールを推進することに合意しました。これが正真正銘のNFLの誕生です。
この時に決まったことが
AFCの優勝者とNFCの優勝者が戦う最終試合を「スーパーボウル」とする。
というものです。この瞬間からスーパーボウルの歴史がスタートするんですね。1965-1969年の間は「NFL-AFLチャンピオンシップゲーム」が開催されてました。NFLは14チーム、AFLは10チーム。2勝2敗のイーブンで、本当にスポーツのレベル的にも同格だったんですね。
ラマー・ハントの現在
合併の2年後、彼が40歳の1972年にNFLプロフットボールの殿堂入りをしています。びっくりしましたが、20代で石油ビジネスで大金持ちになり、30歳で独立リーグを立ち上げ、40歳で殿堂入り。恐ろしい男ですね!
現在は鬼籍で、2006年12月、72歳でお亡くなりになっています。彼はフットボールの活性化に本当に尽力した人物です。しかし自分の愛するチーフスがスーパーボウルに出場したことがないまま、鬼籍に入られ残念です。
彼の作ったカンザスシティ・チーフスは、息子のクラーク・ハントがオーナーとして切り盛りしています。2018年シーズンはパトリック・マホームズという魔法使いのようなQBを擁して開幕4連勝中。悲願の達成に向けて頑張っています。