NFL超入門!~群雄割拠の32国志演義~

アメリカで最強の人気を誇るNFL。人間を超越したNFLの名選手や、試合結果・移籍情報などのニュースを熱くレポートします!

【アメリカの歴史】NFLと黒人差別の戦い

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今日は、リーグ運営や、選手の話ではなくて、黒人差別の話をしてみたいと思います。今でこそ、HCやQBにアフリカン・アメリカンの人たちがいますが、かつては絶対にありえない世界だったそうです。

 

今回はNFLから黒人排斥がいかになくなってきたかについて、まとめたいと思います。

 

日本でもっとNFLが浸透しますように。

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当初は少数民族(マイノリティ)もいたが、徐々に白人主体に

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アメリカでフットボールが誕生し、NFLというプロリーグが誕生し始めた1920年代。その当時のスター選手は、初代コミッショナーだったジム・ソープさんでした。(彼についてはこちらの記事に詳しく書いています。

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彼はネイティブ・アメリカンでいわゆるマイノリティです。当時は彼のような選手もたくさんいたそうですが、プロリーグが機能し始めると徐々に、白人ばかりで席を埋める形になっていったそうです。

 

1933年頃、NFLが活性化していく段階で、特にアフリカ系アメリカ人選手(いわゆる黒人)は、プロリーグから歓迎されなかったそうです。黒人奴隷制を否定する南北戦争が起こったのは1861年で、およそ80年も昔の話でしたが、やはり当時でも黒人への差別は根強いものがあったそうです。

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写真はアメリカ人初の黒人プロアメフト選手と言われる「チャールズ・フォリス(Charles Follis)」さん。オハイオ州のオハイオリーグという組織で1902-1906年にハーフバック(RB)として活躍していました。31才の若さでお亡くなりになっています。

彼のような選手は、黒人だけのブラックリーグでプロ生活を歩むしか方法がなかったそうです。

 

1946年、最初にカラーバリアを破った4人の選手

「Bill Willis」の画像検索結果

黒人排斥のバリアは、1946年に破られます。この年に4人のアフリカ系アメリカ人がNFLでデビューします。一人目はビル・ウィルス(Bill Willis)。クリーブランド・ブラウンズでDLとして活躍し後の殿堂入りを果たします。

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二人目はマリオン・モトリー(Marion Motley)。彼もブラウンズで契約。RBとLBの両方をし1950年にはラッシングリーダーに輝いた名選手です。

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3人目はケニー・ワシントン(Kenny Washington)。UCLAブルーインズでプレイしてきた選手で、Hollywood・ベアーズというチームでプレイし、1946年にロサンゼルス・ラムズでデビューしたRBでした。

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そして4人目はウッディ・ストロード(Woody Strode)。ワシントン同様UCLAブルーインズでプレイし、また同じくロサンゼルス・ラムズでデビュー。彼は引退後に俳優業を歩んだ大成功人でした。

 

彼ら4人が一番最初に差別の壁を破った黒人選手たちです。しかし、それでもNFLは依然として黒人を歓迎はしていませんでした。

 

特に白人の聖域とされたQB、C、MLBのポジションを有色人種が任されたことはありませんでした。彼らに任されるのは主にRBやDLで、肉体を酷使するポジションでした。(今でもRBの契約金額が安いのは、そういう歴史だからかも知れません)

 

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1960s 有色人種に門戸を開いたAFL

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時代が大きく動いたのはAFLの誕生でした。僕のブログでも何度か登場しています、KCチーフスの創業者ラマー・ハント。彼はNFLに対抗する形でAFLという独立リーグを設立し、国内二大リーグ制を確立した大人物です。

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NFLでは白人メインのリーグでしたが、AFLでは「カラーブラインドネス」(人種差別なし)をモットーに掲げ、優秀なアフリカン・アメリカン選手たちの活躍の舞台を用意しました。

 

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先程「白人の聖域」とされたQBにも、初めての黒人選手が台頭します。初の黒人QBはコルツのマーリン・ブリスコー(Marlin Briscoe)でした。AFLは言葉どおり能力主義をぶらさず、リーグに占める黒人比率は30%を超えていたそうです。

 

1970年にNFLとAFLが合併し、黒人選手の占める割合は大きくなり、現在ではマイノリティと言われた有色人種は60%ぐらいになって過半数を超え、白人のほうがマイノリティになっています。

これもラマー・ハントさんの大きな功績のひとつだと数えたいですね。

 

ダン・ルーニーが作ったルーニー・ルール

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ヘッドコーチ職にもマイノリティ排斥の流れは強くあったそうで、黒人でマイノリティになったのはNFLの歴史でもタンパベイ・バッカニアーズのHCをしたトニー・ダンジーや、バイキングスのHCデニス・グリーンなど数えるほどしかいませんでした。

 

しかし、2003年にスティーラーズの2代目オーナー、ダン・ルーニー「ヘッドコーチを決定する際には、必ず有色人種(マイノリティ)を面接すること」という制度を決定しました。

 

これは彼の名前にちなんで「ルーニー・ルール」と名付けられ、スティーラーズは早速アフリカン・アメリカンのマイク・トムリンとHC契約を締結しました。そして見事スーパーボウルに出場し優勝を果たしました。

 

現在NFLのHCは、レッドスキンズのロン・リベラ、ドルフィンズのブライアン・フローレス、スティーラーズのマイク・トムリン、チャージャーズのアンソニー・リンの4人が有色人種で、まだまだやはり白人の方が多い印象です。それでも、DCやOCなど専門コーチにまで範囲を広げると、状況は変わり、有色人種も実に多くバリアの無い組織になっています。

 

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まとめ

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1961年「I have a Dream」と全世界に投げかけたマーティン・ルサー・キングJr牧師のスピーチから60年が経った。黒人の水泳選手もオリンピックに登場するようになりました。アメリカンフットボールの歴史を振り返ると、大きな風穴を空けたのが、AFLを作ったラマー・ハントだということが分かります。

やはり組織が大きく変わる、もしくは活性化するには、既存組織からみれば「よそ者」であり「常識知らず」な「若造」の存在なのかも知れません。願わくば他人に頼ることなく、自らがそんな存在でありたいと思うばかりです。

NFLが発展したように今後の日本社会や経済が活性化することを祈ります。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。