ポール・ラッシュ氏は、日本に最初にアメリカン・フットボールを持ってきた人物として有名です。アメリカ、ケンタッキー州出身の牧師さんです。
彼の存在なくして、日本アメフトの歴史は無い。大変に重要な人物なのです。
今回は、日本アメリカンフットボールの父と言われる、ポール・ラッシュ氏を紹介します。
日本でもっとNFLが浸透しますように。
- 1897年、インディアナ州生まれ ケンタッキー育ち
- 1925年に初来日
- 1928年、聖路加国際病院への献金運動
- 1934年、立教大学アメフト部から、日本最初のアメフト連盟創設、初代チェアマンに。
- 1939年 第二次大戦へ突入 フットボールが禁止される
- 1948年 第一回ライスボウル始球式
- 山梨県清里の街の開発に尽力されました
- まとめ
1897年、インディアナ州生まれ ケンタッキー育ち
19世紀の末に生まれたポール・ラッシュさん。第一次世界大戦の際、青年になった彼はUS陸軍としてフランスに出兵しています。
その後、ケンタッキー州のルイビルに戻ってきて、クリスト・チャーチ協会の牧師として働きます。
1925年に初来日
ときは関東大震災。震災で首都機能は壊滅状態。当時29歳だった彼は、キリスト教青年会(いわゆるYMCA)を作るために来日。
その後は、キリスト教系大学の名門である立教大学で経済学・英語で教鞭を振るい、若者への教育、戦後の和解、農村の開発などに力を注ぎます。
1928年、聖路加国際病院への献金運動
昭和3年、1928年。30を超えたポール・ラッシュさんは、聖路加国際病院の再建に寄付運動をおこします。彼は牧師でありながら、地域再建、まちづくり、様々な部分で活動をしていた立派な人物だったんですね
1934年、立教大学アメフト部から、日本最初のアメフト連盟創設、初代チェアマンに。
1934年。日本で最初となるアメリカン・フットボール連盟を創設し、初代チェアマン(会長)として就任。日本で一番最初にアメフト部ができたのが、ポール・ラッシュさんがいた立教大学、その後明治大学、早稲田大学と関東を中心に広がっていきます。
立教・明治・早稲田から始まったアメリカンフットボールは、日本に受け入れられました。他のスポーツにはない、規律の高さ、技術的制度、チームスピリットの組み合わせは日本の価値観とフィットしたようです。
1937年には東西大学オールスター戦が開催され、25,000人の観客がいるほどの大人気だったそうです。
彼の功績を讃えて、いまでもライスボウルのMVPには「ポール・ラッシュ杯」という賞が与えられます。
1939年 第二次大戦へ突入 フットボールが禁止される
しかし、日本のアメフト文化は一旦中止されます。ドイツ軍のポーランド侵攻に端を発した戦争が広がり、1939年には第二次大戦へと拡大。日本もその戦禍に突入していく時代。
アメリカンフットボールや野球は、敵国スポーツとされ、プレイすることが禁止されました。と、同時にポール・ラッシュ氏の活動も停止に追い込まれ、彼は本国へ半ば強制的に帰国させられます。
1948年 第一回ライスボウル始球式
1945年8月15日、昭和20年に終戦。その3年後となる1948年にポール・ラッシュ氏は日本にもう一度来日し、第一回ライスボウルの始球式に登場しました。
敵国スポーツとして排除された時代を経て、なお、フットボールへの愛情を消さなかった人達が、日本にたくさんいたんです。
その人達は、たとえ戦争の最中であろうとも、ポール・ラッシュさんへの恩義を忘れなかったんですね。なんとも感動的な話です。
その後1961年、日本アメフト協会から、「日本フットボールの父」として表彰されました。
山梨県清里の街の開発に尽力されました
フットボール以外では農村開発に尽力された人物として有名です。米が取れない山間部である山梨県清里村は、ポール・ラッシュさんの数々のアイデアによって開墾されてきた地域です。学校建設しかり、牧場運営しかり、彼の発案によって経済・文化・教育の基盤が作られました。そのため清里高原は今なお、日本国内に知名度の高い地域としてあります。
そんな彼の功績は長野県八ヶ岳にあるポール・ラッシュ記念館に詳しく展示されてます。
また、ここには日本プロフットボールの殿堂として、フットボールの普及に尽力された14名の功績が展示されています。素晴らしい話です。
まとめ
彼の言葉が「ベストを尽くせ、一流であれ」。
手を抜くことなく、自分の使命を全うすることに忠実でありなさい。まさしくアメリカン・フットボールの精神でもあり、人生の生き方でもあります。彼はアメリカンフットボールの普及を通じて、日本人に誇り高く生きることを教えてくれました。そして日本を敗戦国のままにせず、自立と尊厳のある国家へ成長させることに、力を注いでくれたと思います。
そんなポール・ラッシュさんに感謝を伝えます。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。