フットボールの本場アメリカでは、選手たちも親しみを込めてファーストネームで呼ばれるらしいです。しかし、彼だけは誰からも「Mr.ブラウン」と敬称をつけて呼ばれたそうな。
NFLの黎明期を作ったRB、引退後は映画業界でも活躍し、黒人の地位向上のシンボルとしても尊敬されたジム・ブラウン。彼が87歳の年齢で2023年5月18日にお亡くなりになりました。今回の記事は彼のトリビューンとして彼の人生をまとめます。
ジム・ブラウンは、20世紀のアメリカンフットボール史において最も偉大なランニングバックの一人として広く認識されています。彼の卓越した能力、パワー、俊敏性によりNFLのレジェンドへ。以下に、ジム・ブラウンの人生、NFLでのキャリア、引退後の活動、および黒人社会からの評価について調査しました。
NFLが日本でもっと浸透しますように。ではどうぞ。
プレイヤーになる前の人生
ジム・ブラウンは1936年にジョージア州セントサイモンズで生まれました。彼は幼少期からアスリートとして優れた才能を示し、高校時代には複数のスポーツで活躍しました。彼はバスケットボール、野球、陸上競技でも才能を発揮しましたが、特にアメリカンフットボールでの成功が注目されました。
1953年に奨学金なしでシラキュース大学に進学し、バスケ、陸上、ラクロス、アメフトとあらゆる分野で大車輪の活躍をみせました。ラクロスでは全米最優秀選手を二回とり、アメフトでは1年生から唯一のレギュラーに。オールスターメンバーにふさわしい選手でしたが、黒人でしかも1年生はダメだろという社会の風当たりと戦ってました。バスケでも黒人選手3人をスターターにしてはいけないという、当時のシラキュース大学の内規があったそうで、そのジレンマの中にいた選手です。
NFLプレイヤーでのキャリア
ブラウンは1957年のドラフトで全体6位で指名されました。この時代に黒人選手がこれほど上位で指名されることは珍しい。彼が現役だったのは1965年までのたった9年間です。その間、ずっとクリーブランド・ブラウンズでプレーしました。
9年間の中で8年間はNFLのリーディングラッシャーとして成績を残し、1957年、1958年、1965年の3回、NFL最優秀選手賞(MVP)に選ばれるなど、彼のキャリアは驚異的で、常にリーグ屈指のランニングバックとして君臨。キャリアのすべてでプロボウルに選ばれるなど、他を圧倒していました。
当時のNFLは、1シーズンで12試合しかありませんでした。その後徐々に増えていくのですが、その当時でブラウンの9シーズンでの生涯獲得ラッシングヤードは12,312ヤード。これは2009年にラダニアン・トムリンソン(チャージャーズ)に抜かれるまで、NFLレコードとして記録されました。彼の平均ラッシングヤードはキャリア全体で5.2ヤードであり、これは2023年の現在でもNFL史上最高の記録です。
引退後の活動
ブラウンは1966年に突如30歳で引退しました。引退後、彼は俳優として映画やテレビ番組に出演し、成功を収めました。この写真は映画の撮影(特攻大作戦)に見学にきたモハメド・アリとの2ショット。スターアスリートの貴重なオフショットです。いくつか有名な作品があるので紹介します。
『リオ・コンチョス』(1964)
インディアンに武器を売る密売人を追い詰める西部劇。ジム・ブラウンのデビュー作で、騎兵隊の大尉の部下として、タフでマッチョな若い黒人の役を演じています。
『The Dirty Dozen』(1967)(和名:特攻大作戦)
舞台は第二次世界大戦。有罪判決を受けた12名の殺人犯たちをアメリカ陸軍が暗殺部隊として指導・組織し、ドイツ将校を暗殺しにいくという。まさに特攻大作戦。
『The Running Man』(1987)(和名:バトルランナー)
極度に管理された未来社会。囚人たちはランニング・マンと呼ばれるTVショーに参加させられ生死を賭けたゲームを行う。殺人ゲームを描き、スターのシュワちゃんを使った世紀の凡作。
『マーズアタック』(1996)
火星人が地球に襲来してくるという作品。黒人のボクサー役を担当。実はブラウンの父はボクサーでした。
『エニー・ギブン・サンデー』(1999)
大学アメフトの話。アル・パチーノがヘッドコーチをする。口が悪い指導者なんだけど、試合前のロッカールームで選手を鼓舞するスピーチは、今でも映画界で語り継がれる名シーン。
『ドラフトデイ』(2014)
当時低迷するクリーブランド・ブラウンズをモデルとしてドラフトの話。ケビン・コスナーがGMを担当し、大人気のQBをとるかDEを取るかで散々議論する。そして結末は・・・。
黒人社会からの評価
ジム・ブラウンは黒人社会から非常に高い評価を受けています。彼はアスリートとしての成功だけでなく、公民権運動への積極的な関与とリーダーシップでも賞賛されています。彼は黒人の地位向上に向けて努力し、黒人アスリートが社会的な変革を促すための先駆者となりました。
ブラウンはスポーツの枠を超えて影響力を持ち、社会的な問題に対して声を上げることで、黒人社会における重要な指導者となりました。彼の功績は黒人アスリートの役割を変え、彼らがスポーツの舞台での成功だけでなく、社会的変革のための力を持つことを示す一例となりました。
ジム・ブラウンのNFLでの成績と社会的な貢献は、彼をアメリカンフットボール界の偉大なアスリートとして賞賛し、黒人社会のアイコンとして称えられています。
まとめ
最後にブラウンズがまとめたジム・ブラウンの動画を見ましょう。本当に素晴らしい選手です。安らかにお眠りください。Mr.ブラウン。