いやー、スーパーボウルが素晴らしかったですね。また9月までNFLが無いのかと思うと、喪失感がすごく、翌日はシンシナティ市民のように凹んでいました。
さて、スーパーボウルのレビュー記事はまた後日記載するとして、今回のブログでは僕が地元でこれから活動しようとしている小学生向けフラッグフットボールについて。長くなるかも知れないですが、まとめてみようと思います。
今回の記事、本当にめちゃくちゃ長くなってしまいました、最後まで読んでいただけると幸いに存じます。ではどうぞ!NFLが日本でもっと浸透しますように。
- ブログ書き始めたきっかけ。
- 滋賀県が日本アメリカンフットボールの草分けだった
- しかし長浜の現状は少子高齢化、部の存続も危うい状況でした。
- 地域性を活かしてこそ、本当のまちづくりになる
- 「長浜HEROES」クラブチームの名前の思い
- 目的①「スポーツ=楽しい」という意識を子どもたちに作りたい。
- 目的②「アメフトの歴史」を残すことと、フラッグフットボール。
- 目的③長浜をスポーツ交流の地方都市になるようにしたい。
- 目的④子どもたちをアメリカに連れていきたい。
- まとめ
ブログ書き始めたきっかけ。
僕がこのブログを書き出したのが、2016年の終わりぐらいからです。仕事もプライベートもちょっと落ち着いてきて、自分に投資できる時間を増やしたいと思っていた頃でした。
ある時TVのチャンネルを回していると、NFLの試合が流れました。(実は僕は高校生のときに1年間だけアメフト部をしていたのです。)少々の興味をもって、生まれてはじめてNFLの試合をしっかりと見ました。
試合は2016年シーズンのディビジョナル・プレイオフ。パッカーズvsカウボーイズです。このゲームは今でも印象に残っているぐらい、見事なドラマでした。すっかりNFL魅力に引き込まれ、一瞬でファンになっていました。
どんなチームがあるんだ、あの選手は誰だ、どんな人だと、ネットで検索してもあまり出てこない。日本にはあまり情報がなかったんですね。仕方なしにアメリカの記事をなんとか読むようになっていきます。
せっかく吸収したものなら、どこからでアウトプットしていきたい。そうして毎日ブログで情報を整理し始めました。英語の勉強にもなるし、NFLにも詳しくなるし、日本にない情報元を作れるしで、一石三鳥でした。これが僕がこのブログを始めたきっかけです。
そうして毎日、次のブログ記事を調べていく中、僕が住んでいる地元滋賀県長浜市が、日本アメリカンフットボールの草分けの地だったという歴史に、接触したんです。
滋賀県が日本アメリカンフットボールの草分けだった
昭和20年8月、太平洋戦争が集結しました。日本国内は敗戦の報に悲しみました。これからは、アメリカ、イギリス、ロシアの植民地として分断されるかも知れない。そんな恐怖に包まれていたそうです。
そんな中、戦争にいった一人の青年が、立ち上がりました。
「私たちは米国に屈してはならぬ。彼らは明るく体も大きい。彼らに学び日本を強く復興するのだ」
その青年が、当時長浜市の教員だった吉川太逸(よしかわたいつ)さんです。そうして、彼はかつての敵国、アメリカの文化であるアメリカンフットボールを輸入したそうです。
当時彼は学校の先生。中学の公教育の部活動としてそれをスタートしたのは、日本で始めての試みだったそうです。当時は掛け布団や敷布団の綿を抜いて、先生が自ら縫い針をもって、ショルダーやらを手作りしたそうです。
そこから長浜市の中学校に部活動が広まり、卒業した生徒らが高校でアメリカンフットボール部を作るようになり、いつしか長浜市の全部の高校にはアメリカンフットボール部が創設されるようになりました。これが昭和の20~30年代の話です。
(写真は1954年の日大のプレイブック、吉川さんの遺品です)
吉川先生が始めたアメフト運動は長浜から市外・県外に飛び火していきます。きっと時を同じく同志同憂の方がいらっしゃったのでしょう。
大学に進学した学生達は、アメリカンフットボール部をつくるようになり、現在の関西アメフトリーグ、関東アメフトリーグというのが形成されるようになっていきます。
ある時、日大フェニックスの故篠竹監督がフィールドで、吉川先生を見つけたそうです。すると監督は、自ら駆け出し、わざわざ挨拶に来られたそうです。当時の篠竹さんは日本アメフトのビッグボスのような存在です。そんな方が礼を示すというのですから、それほど吉川さんの功績は大きかったのでしょう。
そういった歴史がありますから、長浜から数々のレジェンドプレイヤーが生まれました。
池野邦彦さんは、シンシナティ・ベンガルズのトライアウトを受けた日本人初のNFL挑戦者です。現在はアメフト用品のQBクラブの社長をされています。
またパナソニックインパルスで活躍された脇阪康生さん、映画にもなった日大フェニックスのRB山口敏彦さん、立命館でQBをされた東野稔さんら、みな滋賀県長浜市出身の方々です。
しかし長浜の現状は少子高齢化、部の存続も危うい状況でした。
そんな歴史をもった長浜ですが、現状は活気を失いつつありました。原因はやはり少子化です。タブレットやゲームなどの環境の変化も加わり、スポーツの体験から、徐々に子どもたちは離れる傾向がありました。
スポーツ少年団も、親の犠牲も大きいようです。昔は、コーチに全てを一任し親の関わりは特段なかったのですが、今では親が色々と口をはさむようになり(語弊がある言い方しかできず申し訳ない)、親は保護者会を組織し、運営に多くの時間を割くようになりました。
お兄ちゃんがサッカーをしたら、弟はサッカー以外の選択肢がない。理由は親の時間がないから。そんな話も聞きました。
アメリカンフットボールは、人数の必要なスポーツだから逆風です。防具やシューズなど初期費用も高い。怪我の心配もあるでしょう。大人数、マイナーなスポーツは、地方都市からどんどんなくなっていく。アメリカンフットボールもその一角。
数々の環境的背景が変わっていき、現状はなかなか厳しい状況でした。いま何も行動しなかったら、アメフトの歴史はきっと失われてしまうだろう。それは何だかもったいない。
地域性を活かしてこそ、本当のまちづくりになる
環境は悪いとは言っても、長浜市が日本のアメリカンフットボール発祥の歴史をもっているのは紛れもない事実。僕の友人や先輩もアメリカンフットボール経験者が多い。人口10万人程度の地方都市で、これほどアメフトが根付いた町なんて、他にあるはずない。
この独自性は、他の町では真似ができないだろう。歴史だけは作れないから。さっき書いたレジェンドプレイヤー達も、まだ生きているし、他にもたくさん関係のある人達がいる。地元と関わりを失いつつあるけど、今ならもう一度それを引き戻せるかも知れない。
少子化で学校単位で部活動が維持できなくなった。それと同時に文科省では部活動と学校教育とを切り離そうとしている。「スポーツは学外活動としてやってくれ。」それもまた契機かも知れない。
少子化とはいえ人口は10万ある、まだまだ危機的数字ではない。学外クラブチームなら、全小学校に「全員集合!!」って言える。学区を超えた交流は、また良い刺激になるじゃないか。
それにアメリカンフットボールっていう日本ではマイナーなスポーツだからこそ、地方都市でも、珍しさで地域活性に勝負できるんじゃないか。長浜が注目を浴びるようになれば、それに関わっている大人も子供たちも、誇らしく思えるんじゃないか。
そんな希望を込めて、クラブチームを作ろうと進み始めました。
「長浜HEROES」クラブチームの名前の思い
アメリカンフットボールをやった人、もしくは、アイシールド21を読んだ人なら、このスポーツの個性がわかると思います。
「それぞれ違う個性や違う能力が集まって、一つの成果がでる。」
これがアメフトの魅力だと思います。QBだけがすごくても、パスプロする人、レシーバーがいないとダメ。いくら脚が速くても、ブロックがいなきゃダメ。
スポーツ万能な人1人で勝てるスポーツじゃない。
違う能力の持ち主、一人ひとりがヒーローになれるスポーツ。それがアメフトだし、フラッグフットボール。男子でも女子でも関係ない、体を動かすのが得意、考えるのが得意、それぞれの違いが集まるから強い。
「僕のヒーローアカデミア」もそんな話ですね。自分の個性がチームの一員なる、メンバー全員がヒーローなんだ。そんなイメージから、チームの名前を決定しました。
目的①「スポーツ=楽しい」という意識を子どもたちに作りたい。
クラブチームを運営していくことで、達成したいことがいくつかあります。まずは何より、子どもたちにスポーツの楽しさを知ってほしい。
僕はNFLを通じてアメリカの文化を勉強し、スポーツって本来もっと楽しむものなんだなと、意識が変わりました。
でも日本の部活動カルチャーって、まるで軍隊みたいに厳しいじゃないですか。
僕は、そんな軍隊みたいなカルチャーがすごく嫌でした。叱咤激励がすごくて(罰走とかね)、やたらと怒鳴られたりする。なんでこんな怖い思いをしないとならんのか、なんで恐怖でコントロールするんかと疑問を覚えてました。
また僕はアトピー持ちの体質でした。汗かくと体が痒くなるんで、小さい頃から運動が好きじゃなかった。喘息持ちで身体もあまり強くなかったし、器用でもなかった。スポーツの時間になると数の足しにされずいつも憂鬱だった。だから僕は体を動かすのが嫌いだった。
そんなのは、もうこれからの時代にはいらんやろうと思うんです。小学生のときは、叱咤するよりも、公園で遊ぶように楽しむこと。練習じゃなく友達に会いに来るみたいな感じで。そんなふうな時間を過ごしてもらえる環境を作りたいって思います。
目的②「アメフトの歴史」を残すことと、フラッグフットボール。
これは何よりのことです。最初にあったモチベーション。
吉川さんがスタートさせて、色んな人が紡いで作ってきた歴史、それを消したくない。繋いでいけたらと思う。
住んでいる人たちが、「僕たちの町にはそういう歴史があるんだ」と語ってくれるような、そんな未来にしたいなと思っています。
でもアメリカンフットボールの大人のチームを作っても、興味を示してくれる人って少ない。長浜は100万人もいる大都市でなく、10万人程度の小さなまちだから、小さな花火にしかならない。
だったらどうする?その答えがフラッグフットボールでした。
アメフトは人数が必要、防具も必要。トレーニングして怪我しないよう鍛える必要。でもフラッグは、どれも必要がない。室内でもできる。男の子も、女の子も合同でできる。
また巻き込み力もあります。アメフトはルールも知らんけど、自分の子どもがフラッグやってるなら、、、と、興味をもってもらえる。
地方都市でプロモーションをしかけていくには、 フラッグフットボールは最適じゃないかな?と思いました。
幸いなことに、地元にはアメフト経験者も多く、子供に指導するぐらいならと手を挙げてくれる人もいます。
また日本フラッグ連盟が主催するNFLFlagという日本一を目指せる大会も毎年ある。大きな目標を地域のみんなで目指せるというのは、面白そうだなと思ったんですね。
またフラッグは教育的要素が強い。自分で考え行動し、結果を観察、修正する。ダウンの度にPDCAを回すのが、このスポーツの特徴です。
アクティブラーニングの要素が、大いに含まれています。だから文科省にも推奨スポーツとして認定されてる。これを広めていくことは、地域の子どもたちにも有益だろうと考えました。
目的③長浜をスポーツ交流の地方都市になるようにしたい。
滋賀県の長浜市は交通の要衝、北陸・中京・関西の文化が交差するポジションにあります。
(ですので、言葉も三都市圏のものが入り混じった感じで、微妙な関西弁です。)
僕たちの町は金沢まで90分、名古屋まで60分、京都まで60分。そんな場所に日帰りでアクセスできる好立地。
そういうわけで、週末になると皆あちこちにでかけます。しかし逆を言うと、あちらこちらから、来てもらえる可能性のある地の利があるってことです。
そこにスポーツができる環境が整備できたら?
人工芝のフィールドで、アメフト、フラッグ、ラグビーやサッカーなどのフットボールの試合が、いくつか同時に開催できる環境が整備できたら!
三都市圏がスポーツによって交流する交差点のまちになるんじゃないか。
いろんな大学が合宿してくれたり、それを街の子供達が見に来たり。
スポーツツーリズムにより、新しい価値を作れるんじゃないかな。そんなことを妄想しています。
目的④子どもたちをアメリカに連れていきたい。
これが最後の目的です。僕がブログを書いている理由は「NFLが日本でもっと浸透すること」です。
僕はいつかアメリカでNFLがみたい。そしてそこに、地元の小学生を連れていきたい。
アメリカのスポーツがどれだけ日本と違うか。教え方ってどんなに違うか。メンバーをモチベートさせるためリーダーシップはどう発揮されてるか等、子どもでなくとも刺激を受けることはたくさんあると思っています。
僕は、18歳になって大学生で一人暮らしするまで、長浜市以外の友達っていませんでした。狭い中で広げられる世界観ってやっぱり狭いんです。これからの子どもたちには、もっと早い時期でいろんな世界を見てほしい。
田舎に住んでいるけども、自分の人生は無限に選択肢があることを知ってほしい。学ぶこと、旅すること、人に会うことの楽しさを知ってほしい。そんな風に思っているんです。
いつかきっと、何人かの子どもたちを連れて、アメリカの学校と交流してみたい。子どもたちに一生の思い出を作ってあげたい。それが僕がクラブチームを作って、やりたいことです。
まとめ
以上、大変長くなってしまいました。ひょんな事からNFLにハマって、せっかくならブログだけでなく地域に働きかけをしよう。そんなふうに思った流れです。
これから、クラブチームを創設し、諸々活動を続けていきます。このブログでも近況報告ができたらと思います。
応援してくれるひと、支援してくれる人などの声を集めるため、クラウドファンディングもやっています。どうかこの記事を読んで「面白いじゃねぇか、実現してほしいね」と思ってくれたなら、拡散してもらえると嬉しいです。
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でもNFLの記事更新は続けます!だって面白いですからね!!
長々、6000文字にもなる記事を、最後まで読んでくれて、本当にありがとうございます!!!