アメリカン・フットボールのルールを整備した、ウォルター・キャンプはフットボールの父と言われますが、彼エイモス・アロンゾ・スタッグは戦術立案、練習器具など新しいものを創り出した「アメリカン・フットボールの発明家」と称される人物です。
今回の記事では、そんな偉人、エイモス・アロンゾ・スタッグさんについて紹介します。
日本でもっとNFLが浸透しますように。
- ウォルター・キャンプの元でプレイしてた選手だった人
- 世界最初の有給のプロコーチだった人
- 当時最強のミシガン大学ウルバリンズを倒す
- 日本にアメフトを紹介した岡部平太にアメフトを教えた人
- 選手として指導者として殿堂入りを果たした人
- 91歳までコーチをし、102歳まで生きた、生涯現役だった人
- エイモス・スタッグの発明品①タックル・ダミー
- エイモス・スタッグの発明品②ハドル
- エイモス・スタッグの発明品③リバース・自由の女神・モーション
- エイモス・スタッグの発明品④背番号制度
- エイモス・スタッグの発明品⑤バーシティー・レターの授与
- まとめ
ウォルター・キャンプの元でプレイしてた選手だった人
当時イエール大学のコーチは、フットボールの父といわれるウォルター・キャンプ。彼のもとでラインマンとして活躍していたのがスタッグでした。身長180cmに満たない体格ながら、1888年にワールドチャンピオンに輝くなど、素晴らしい活躍をみせていました。
フットボールに傾倒していったスタッグですが、本来イエール大学には牧師になるために入学してたそうです。しかし元来口下手でスピーチが下手くそ。そのため牧師は諦めてフットボールの指導者の道を選択したそうです。
世界最初の有給のプロコーチだった人
イエール大学から、場所をシカゴ大学に移し、彼は選手を指導します。大学で彼は「フットボールでは試合に勝つことも大事だが、もっと大事なことは潔癖な精神を持つことだ」と選手の人間性を伸ばすことに注力しました。スポーツたりとも、教育であることを決して忘れなかったんですね。まさに牧師畑出身の彼らしさがにじみ出ています。そして彼は国内初の有給コーチとして、長くシカゴ大学の指導に当たることになります。
当時最強のミシガン大学ウルバリンズを倒す
1896年スタッグが38歳のときです。彼が指導するシカゴ大学は、ミシガン大学ウルバリンズと対戦。当時「A point a minute」(1分間に1得点する)というくらいハイパーオフェンスだったミシガン大学。その凄さは圧倒的だったそうです。
しかし、シカゴ大学のHBクラレンス・ハーシュバーガーの大活躍により、ウルバリンズに7-6で大勝利をあげます。これはフットボール業界に激震が起きたほどのビッグニュースでした。この出来事以来、スタッグはグレイトコーチとして大学内外に評価を高めることになりました。
次の年、シカゴ大学はBig10カンファレンスのタイトルマッチをウィスコンシン大学とするんですが、エースHBハーシュバーガーが、前日気合入れすぎて卵13個を食べて、腹を壊して出場できず。で負けるという。なんとも時代を感じる逸話です。
日本にアメフトを紹介した岡部平太にアメフトを教えた人
1917年スタッグが65歳のとき、ある日本人にシカゴ大学で出会います。それが「天狗と呼ばれた男」として有名な、岡部平太さん(柔道八段)です。講道館を作った嘉納治五郎先生の援助を得て、1917年に単身渡米しシカゴ大学に留学。そこで当時コーチだったエイモス・スタッグに師事し、アメリカンフットボールに出会います。
当時は根性一辺倒の日本式指導法しか知らない岡部は、米国の科学的な指導方法を学び、日本に輸入しようと勉学に励みました。
そして1920年彼の留学が終わり帰国したのちに、日本にアメリカンフットボールを紹介する寄稿文を「世界の運動界」という書籍にて発表します。これが日本人が最初にフットボールに出会ったストーリーです。そこに、エイモス・スタッグがいるというのが面白いですね。
選手として指導者として殿堂入りを果たした人
そしてエイモス・スタッグ88歳になる1951年。彼はカレッジ・フットボールの殿堂入りの栄を受けます。彼はコーチとして、そして選手として、両方で殿堂入りを果たします。ダブル受賞は、彼以降1990年になるまで現れなかったそうです。
91歳までコーチをし、102歳まで生きた、生涯現役だった人
1954年、エイモス・スタッグ91歳。数々の勝利を抑めたスタッグHCは、やっとフィールドに立つことを辞め引退しました。なんと91歳の年齢まで現役コーチとして選手を育成、これほど長く現役を続けた人は、今でもさすがにいないと思います。
シカゴ大学HCとして41年在籍したという事実は、今後誰しも更新できないでしょう。
エイモス・スタッグの発明品①タックル・ダミー
今では普通の話ですが、当時はタックルマシンがなかったんですね。こういうラーメン構造の柱・梁を建てて、ダミーをぶら下げる。学生から怪我を遠ざける仕組みを色々と考えていたようです。
エイモス・スタッグの発明品②ハドル
これも今では普通すぎることですが、スタッグ以前はハドルというものはなかったそうです。本当かな?と訝しむのですが、シカゴ大学のウェブサイトにスタッグの功績のページがあります。そこにしっかり「彼はハドルを残した」と書かれています。
Amos Alonzo Stagg - The University of Chicago Athletics Athletics
エイモス・スタッグの発明品③リバース・自由の女神・モーション
これら3つのプレイがスタッグが発明した代表格と言われてます。どれも相手をうまくひっかけるトリックプレイですね。スタチュー・オブ・リバティーズなんかはなんでそういう名前なんでしょうね。今ではどんなチームもこれらプレイを使います。今から110年くらい前の話です。
エイモス・スタッグの発明品④背番号制度
この写真は上が1905年、下が1901年のシカゴ大学フットボール部のものです。ご覧のように背番号というものがありません。この10年後くらいに、スタッグが背番号制度を開発整備し、現在に至るわけです。
エイモス・スタッグの発明品⑤バーシティー・レターの授与
「Varsity Letter」、初めて聞く単語だったのでネットで調べてみました。Varsityが代表の~、Letterが手紙、ですので直訳すると「代表手紙」。
これは、4年生の最後までクラブを辞めずにチームメイトとして在籍した学生たちに配られる卒業証書みたいなもののようです。(違っていたらごめんなさい。)大学の紋章ともいうべきアルファベットが刻印されておりオフィシャル感が溢れています。
「厳しい練習に耐えて勉学に励み、チームメイトと共に戦った君たちを誇りに思う。君たちこそが我々クラブの代表だ。」
そんな思いが込められているんだろうと推察します。この仕組みは動機も美しく、学生たちのモチベーションや帰属意識を高めるため、現在でも全ての大学、高校で行われてるようです。大変よい発明だと思います。
まとめ
以前の偉人伝の記事で、ノートルダム大学のHCとして、今なおアメリカ全土から尊敬を集めている、ニュート・ロックニー。そんな彼がスタッグについて語っている。
「フットボールの全てはエイモス・アロンゾ・スタッグの人生の中にある」
それほど、スタッグさんの残した偉業は大きく、後世の手本となるものだったのでしょう。
最後まで読んでいただきありがとうございました。