今回は、「実はあの人も、元アメフト選手だったんだ」という記事です。
ではどうぞ。
ドウェイン・ジョンソン
この人はNFLには行けなかった人です。カレッジはマイアミ大学ハリケーンズのDEとしてバリバリやっていおり、NFLを目指すものの、ドラフトでは指名がかからずカナダのフットボールリーグで努力するも芽が出ず、違う道を選択。
その後プロレス界で大成功します。WWEの「ザ・ロック」として有名ですね。端正な顔立ちとたくましい肉体、それに卓越したマイクパフォーマンスでプロレス界の四天王に上り詰めました。ザ・グレート・ムタのファンということもあり、親近感があります。
プロレスを引退した後は、ハリウッド映画のワイルドスピードなど出世作に恵まれ、現在では映画界のセレブレティとして有名です。
ボブ・サップ
K1でも有名なボブ・サップ。本名はロバート・マルコム・サップ。実はワシントン大学のガードでした。あのボブ・サップがOLとは驚きです。彼は1997年にシカゴ・ベアーズから3巡69位で指名を受けた名選手。だったはずが1年間でベアーズから放出。その後バイキングスと契約するも、ステロイドの使用過多でNFLから出場停止処分を喰らって、たった1試合だけ出場して、NFLを引退。彼が在籍したのは2シーズンだけでした。
その後プロレスラーに転向し、NWA、WWFと存在感を高めていき、日本にきたときは総合格闘技のK1選手でした。
スタン・ハンセン
彼もまた長くはないですがNFL選手でした。大学を卒業後、ボルチモア・コルツ(今のインディアナポリス・コルツ)から指名を受け、その後サンディエゴ・チャージャーズでプレイ。ほどなく解雇されて、地元で中学校の先生として働いておりました。その後、アメフト部時代の先輩の誘いでプロレスラーに転身。
ブルーザ・ブローディ
別名キングコング・ブローディ。超獣の異名をとったヒールレスラーでした。アメリカのWWFで名を挙げ、日本でも全日本プロレス、新日本プロレスで活躍していました。
実はスタン・ハンセンとはウェスタン・テキサス州立大学のチームメイト。1967年にワシントン・レッドスキンズでデビューして、NFLでは3年プレイしました。しかし、膝の故障のため引退を余儀なくされました。その後、アメフトのコラムニストなどをしてましたが生活に困窮。その後鉄の爪アイアンクローのフリッツ・フォン・エリックからスカウトされて、プロレスラーに。
ジム・ブラウン
この人はもう言うまでもないレジェンドプレイヤーです。現在83歳。NFLを引退して早53年。俳優やタレント、NFLコメンテーターとしてテレビで活躍しています。現役時代はクリーブランド・ブラウンズのRBとして、プロボウル9回、オールプロ8回、NFLチャンピオンを一回と輝かしいレコード。