2011 /1巡 /11位 / ウィスコンシン大学
やっぱりワット兄貴がランクイン。昨年の84位から大幅ランクアップなのは、フルシーズン最後までプレイできたからですね。フィールドに立てば猛獣のごとく。普段着になれば大変な紳士に。強さと優しさの両方をもつ、皆の模範となる人物ですよね!まさにスポーツマンシップの象徴です!かっこいいなぁー。
18シーズンハイライト
サック16回、ファンブルフォース7回と暴れ馬の如く大活躍した18シーズンでした。チームもQBデショーン・ワトソンの加入により、超課題点だったO#も大きく改善され、地区優勝の絶好調。
ワットは相手から見ると、まるで猛獣グリズリーのよう。担当するOLの選手たちは四苦八苦します。過去2年のブランクを利子つけて返すの活躍で見事オールプロ1stをもぎ取りました。(これ5回目ですからね!)
キャリアを通して
デビュー年から16ゲームフルでスターター出場している選手。5.5サック、6パスD#の成果を上げています。
2年目に驚異の20.5本サックを上げてリーグのシーズンレコード。 この2012シーズンから2015シーズンまで4年連続でオールプロ1stに登場しています。
まぁとにかく人並みはずれた肉体の持ち主。NFLの選手たちは皆がフィジカルモンスターですが、その中でも群を抜いてモンスター級。数字にすると尚の事わかりますね。
ワットの苦悩が始まるのは2016年からです。15シーズンの終わり頃。2016年1月に脊椎椎間板ヘルニアを故障しIR入りします
この背中の椎間板ヘルニアが9月の開幕を終えた3ゲーム目に再発。残りを全休する残念なことになりました。
さぁいよいよの2017年シーズンに、再度怪我に悩まされます。左手薬指を故障しながらもゲームに出場していた頃です。2017年10月8日。チーフス戦で左膝を故障。(脛骨プラトー骨折)。
この膝の骨折でワットは残りの11ゲーム全てを棒に振ることになりました。
そして2018年。彼は2年間に溜まったうっぷんを晴らすかのように全ゲーム出場。見事オールプロ1stに返り咲き、
ウィスコンシン州生まれのワット
ワットが生まれたのは、ウィスコンシン州のウォキーショーという街。ウィスコンシン州最大の都市、ミルウォーキー都市郡(人口150万人)の一つ。
ウォーキショー自体は人口7万人くらいの小さい町ですが、ミルウォーキーがすぐ近くの隣町ですので、田舎者って感じではないですね。
彼が小学生の頃はホッケーを熱心にしていたらしいですが、遠征に次ぐ遠征で経済的に継続できなくなって、小5にアメフトに変更。中学高校ではTEとDEの両方で全米オールスター選手に選出されます。
大学時代はアントニオ・ブラウンとチームメイトだった
最初はセントラル・ミシガン大学にスカラシップを受けて進学したワット。他にもコロラド大、ミネソタ大からオファーをもらってたみたい。
TEとして14ゲーム出場しタッチダウンも上げて、1年生ながら大活躍だったワット。HCからは「君はすごいからOTをしてくれ」と指示されるんだけど、ワット氏は「OLはやだな」と。
そこにウィスコンシン大学から「うちでDEをしてくれ!君はその才能がある!」というオファーを受けて脳みそビリビリの共感。そうしてワットはウィスコンシン大学に編入します。
ウィスコンシン大学時代
スカラシップを受けて進学した選手が、大学を転校した場合、その1年は出場機会を失う。というルールがNCAAにあります。
その為、JJ ワットがバジャーズでプレイしたのは2年間だけです。そこで年間4本のサックをあげ全米から大注目を浴びます。この転校がワットのアメフト人生において大きな転換期でしたね。
見事2011年ドラフトで1巡指名を獲得
バジャーズでの大活躍をもとに、2011年ドラフトにエントリー。数々のスカウトマンから1流の太鼓判を押されたワット。予想通り1巡でテキサンズと契約。そして低迷が続いたテキサンズに復活の息吹を与えてくれました。
JJワット選手には、色々エピソードがあるので知ってほしい
その他、彼の生い立ちやパーソナリティについては、別記事で色々かいてます。よかったらご覧いただき、「ワットってこんな人なのか!」と知ってほしいなと思います。
愛犬家のワット
ワットは自宅で二匹の犬と暮らしています。オハイさんと婚約したので、今後は一緒に二人と二匹で暮らすのでしょう。いつか二人のベイビーが見れるかも知れませんね。