NFL超入門!~群雄割拠の32国志演義~

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【NFLトップ100】1位はやっぱり!QB トム・ブレイディ

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2000 / Round 6 / Pick 199 / ミシガン大学

はい!やーっぱり1位はこの人でしたね!これで2016〜2017の 2年連続の1位獲得です。(2015年は、ヒューストン・テキサンズのJJWattでした。)

 

もう説明不要なぐらい有名な選手ですね。正式な名前は、「Thomas Edward Patrick Brady Jr」(トーマス・エドワード・パトリック・ブレイディ・ジュニア)、ああなんて長い名前なんでしょうか。このトム・ブレイディなくして今のニューイングランド・ペイトリオッツは語れず、またまさにNFLを代表する看板選手といえます。

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スーパーボウル5回優勝はNFL史上ブレイディだけ

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日本でアメリカン・フットボールの競技人口は、約2万人と言われております。少しずつですが有名になってきたわけですが、それでも「ラグビーのことでしょ?」と識別されないマイナーっぷり。しかし、そんな日本ですら、年に1度だけ注目されるのが、スーパーボウルです。

全米全てのアマ選手が、この試合に出ることを夢見ています。年俸16億円をもらっているトップNFLのQBですら、ゲームに出ることなく現役を終わるんです。(年に二人だけですからね)

 

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そんな夢の舞台に、ム・ブレイディは7度も出場し、5回も勝利しています。この偉業がどれだけすごい事か、各界のスポーツ選手たちからの言葉からも伺いしれます。

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NBAのレブロン・ジェームスは、「GOATに敬礼する」(Greatest of All Time)とTwitterで発信し、MLBのデレク・ジーターは「勝利という言葉を聞くと、トム・ブレイディを連想してしまう」と最高最大の褒め言葉を送ってます。

 

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GOAT ”すべての時代の最高峰”

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スーパースターには代名詞がつきものです。マイケル・ジョーダンは神様、レブロンはキング、メッシは神の子、ってな具合に。ブレイディは「GOAT」と言われます。そりゃスーパーボウル7回も出て5回もリング獲得してんだもん。そりゃそうだろと言いたくもなるけど、彼が積み重ねてきた道のり、彼の生き様を見れば、印象が変わりました。

 

 多くのNFL選手は、高校生のときからRivalの格付け5つ星、4つ星をもらって、3つも4つもの大学からスカラーシップのオファーを受けるなど、昔からスター選手だったひとばかりです。

しかし、トム・ブレイディは高校生のとき、ただ1勝もあげれんチームの、控えQBだったんです。まさにドアマット。アンダードッグ。噛ませ犬。練習相手。そんな表現がぴったりの三流選手でした。そこから努力・努力の連続。スターにのし上がる唯一の道は、毎日諦めず練習する地道なものだったのです。

 

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理想的なネバーギブアップ男

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「諦めない・努力・改善・自省・学ぶ・高みを目指す・挑戦」

 私たちは皆、こんな言葉を、小さいときから教育されてきました。焚き付けられ努力してきましたが、どこかで「もう嫌、もう無理」と匙を投げ、落とし所を探します。

 だけど、トム・ブレイディは絶対に諦めないんです。自分は必ず勝利できると信じて愚直に積み重ねてきた。そして、自分の力で栄光を勝ち取ってきた。

 この姿はスポーツをしている人だけでなく、ありとあらゆる全ての人にとって、心が震えるものです。

 ブレイディの実績に加え、全ての人達の手本となる彼の素晴らしい人格を含めて、「GOAT(Greatest of All Time)」なのです。

 

 

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 高校時代~サンマテオ高校~

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 ブレイディは、カリフォルニア生まれ。4人姉弟の末っ子で、姉が3人おりますが、兄はおりません。彼のお父さんはアイルランド出身の移民。アメリカの内戦のときに、ボストンから西海岸に移住してきました。

 カリフォルニア育ちですから、ブレイディは49ersのQBジョー・モンタナに強い憧れを抱きます。そして地元のサンマテオ高校に通いフットボールを始めます。こから噛ませ犬ブレイディのストーリーが始まるわけです。

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 野球なら、まぁまぁだったのに、アメフトでは2軍の控えQB。1992年の夏、1年生のとき初めて試合に出た。1本のTDも奪えずに、15回もQBサックを浴びて終わった試合。長い鼻がポッキリ折れた瞬間でした。そのまま退部して野球の道を歩み直せばいいものを、この男、諦めない。

 敗北に続く敗北。控えQBのまま全敗でシーズンエンド。それでもずっと努力を続けてました。チームメイトと納得いくまで議論を続けて、ミーティングを繰りかえす。素晴らしいメンタルの持ち主でした。

 ある時、スターターQBが怪我をして、控えのブレイディが試合に出ました。そこでブレイディは結果を出します。この後、スターターのリストに何度もあがる選手になりました。しかし、それでもディビジョン1の大学からオファーが来るほどの選手ではないブレイディ。彼は自分のハイライトテープを作って、各校に郵送でプレゼンします。これは結構話題になったみたいです。

 最終3年生の時には、全米選考選手にも選ばれるようになりました。カリフォルニア州バークレー校、UCLA、USC、ミシガン大学、イリノイ大学から、お誘いがあったそうです。彼の父は地元カリフォルニア州の大学に通ってくれたら、息子の活躍が見れて嬉しいと言うていたそうです。

 

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実はMLBからもオファーがあった(18巡目)

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  また野球でもかなりの才能を見せていたブレイディ。実はMLBからも注目されていました。野球ではキャッチャー、しかも左打ちの強打者でした。MLBの1995年のドラフトに18ラウンドでブレイディは指名されてます。当時彼を指名したのは、「モントリオール・エクスポズ」、現在の「ワシントン・ナショナルズ」です。MLBからのオファーを蹴って、彼はミシガン大学でフットボールをすることを選択しました。

 

ミシガン大学ウルバリン時代

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 1996年にミシガン大学に進学、1999年までの4年間在籍していました。当初1年生・2年生の頃は、控えQBでした。1997年にはミシガン大学は無敗無敵の全勝シーズンを作ってます。しかし、彼がウルバリンズに入部したときは、まだカンファレンスで7位くらいの実力のチームでした。

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 QBドレイ・ヘンセンと熾烈なスターター争いを続けてましたが、3年生の1998年に決着。残り2年間の全ての試合(25試合)を先発QBとして投げ続け、20勝をあげました。ブレイディの通算成績は、5,351yds、35TD、443Pass/ 711Atp でした。

 

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NFLドラフトでは6巡指名

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その後2000年のドラフトにエントリーするわけですが、他のチームの人事担当からは、「えらい貧相な体で、アスリートとは思えん。QBサックを交わす敏捷性も無けりゃ、強肩でもない。」とかなりの低評価。

なおかつ4年生のときに、スターターQBを一度変えられてる事実をHCを含め人事担当は疑っていたようです。

 

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 ブレイディは、モンタナに憧れをもってますんで、49ersに入りたかった。ですが、当時のHCスティーブ・マリウチは、「トム・ブレイディ?彼は間違いなく凡才だ。モンタナの再来ならば、ミシガン大学がQB併用なんてするか?それが何よりの証拠だ。ボールはヘロヘロ、40ydsは5.2秒、サックもかわせない。いいところなんて何もない」と語っていました。

 ミシガン大学に電話をしてたのは、ニューイングランド・ペイトリオッツの人事部長だけでした。当時のミシガン大学のコーチだけが「ブレイディを指名して後悔することは絶対に無い。」と太鼓判を押してくれた。

 

 しかし、当時ペイトリオッツには、豪腕QBドリュー・ブレッドソーがいました。コンバインでかなりダメっぷりを発揮したブレイディは、やはり相当評価は低かった。

 5巡目が終わったときに、オーナーのロバート・クロフトは、「わーー!まだブレイディ残ってるやん!」と驚きを漏らしたといいます。結局、6巡199位でNFLの舞台に上がることになりました。

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 ブレイディは当時を振り返って、「あのときは本気で生命保険会社のセールスマンをやる気でいた。声をかけられたときに、『ありがとう神様!』って、最高に興奮した」と語っています。

 

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The Brady Six

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後に、ブレイディよりも先に指名をうけた6人のQBたちと、ドラフト後を描いた「The Brady 6」っていうドキュメンタリードラマが、ESPNから報道されてます。

www.youtube.com

 

2年目でスーパーボウル制覇

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 ニューイングランド・ペイトリオッツといえば、豪腕QBドリュー・ブレッドソー。2年目になる2001年シーズン。ブレッドソーが怪我のため退場し、ブレイディに出場のチャンスがきました。

 この時、16試合のうち7試合が残っていましたが、見事5勝2敗でシーズンを乗り切り、11勝5敗で地区優勝を実現。プレイオフのときには、ブレッドソーの怪我は治ってましたが、HCはそのままブレイディ続投を決意。

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 チームは勢いそのままにスーパーボウルに出場。対戦相手はセントルイス・ラムズ。QBカート・ワーナーは、スーパーのレジ打ちからNFLのスター選手になったシンデレラボーイ。奇しくも負け犬・噛ませ犬ブレイディのシンデレラ対決です。これは素晴らしい出来事でした。

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 スコアは20-17。最後の最後、ゲームを決したのは、ペイトリオッツのキッカー、#4のアダム・ビナティエリの48ydsのフィールドゴールでした。やっぱスーパーボウルって素晴らしいよね。

 

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契約金額

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 現在、2年で$41mの契約。単年度の年俸でいうと22.5億円です。かなりの高額です。40歳の年齢になったいまでも、この高額年俸を契約でき、なおかつNFL1位の座を勝ち取っている。本当にすごい男だと思います。

 

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