現オーナー ロバート・クロフト(1994-今)
HCビル・ベリチックを招聘して、「ペイトリオッツ王朝」の時代を建設したMr.ペイトリオッツ。
もともとNE市民で、生粋のペイトリオッツファンだった彼。製紙会社で身を立て成功し、創業オーナーのビリー・サリバンが苦境の折に、ビリー・サリバン・スタジアムの所有権を獲得し、チーム経営の一角を担うことになる。
1992年にオーナーになったオースウィンが、セントルイスにチーム移転を目論んでいたため、敵対的買収(MBO)をしかけ、オーナーシップを手に入れた。
ジェームス・オースウィン(1992-1993)
地元セントルイスにNFLチームを作りたかった人。それを目的にキアムから球団を購入。計画は頓挫してロバート・クロフトに売却。2年間だけオーナーでした。彼のお父さんは、広告業の経営者で、彼の母親はアドルファス・ブッシュの孫でした。
【余談】
アドルファス・ブッシュはドイツ人で、かの有名なバドワイザーを醸造するアンハイザー・ブッシュ・インベブの創業者。現在は様々な関連会社と合併を繰り返し、世界50カ国に製造拠点をもち、ビールのワールドシェア3割を占める世界有数の酒類メーカー。アメリカのバドワイザーだけでも生産量が世界3位。
1991年にNFLに新チームを2つ作る動きがありました。セントルイス市民のオースウィンは地元にチームを作りたいがため、動き回ってましたがうまく行かず、ジャクソンビルジャガーズとカロライナ・パンサーズができることになりました。
しかし諦めない彼は、既存球団をセントルイスに引っ越しさせ、「セントルイス・スタリオン」とチーム名を変えるプランを考え、1992年にニューイングランド・ペイトリオッツを買収します。でもセントルイスにはまだホームスタジアムが無く1993年シーズンはNEで過ごすしかなかった。
フォックスボロスタジアムの所有者であるロバート・クロフトも、NFLチームを地元に確保しておきたかったので、1994年にオースウィンに対して敵対的買収をしかけます。これが成功しロバート・クロフトが新オーナーになりました。
ビクター・キアム(1988-1992)
ビリー・サリバンの一連の騒動の中で、株式を購入してオーナーになった人。電動ひげそり「レミントン・シェーバー」のオーナーでありながら、TVCMに出まくり売りまくった人。ひげそりのおじさんとして有名。彼がサリバンから球団を買収したけど、スタジアムの所有権は含まれてなかった。球場はニューイングランドで製紙会社をしていたロバート・クロフトが購入。1992年にセントルイスの実業家、ジェームス・オースウィンに球団売却。
創業 ビリー・サリバン(1959-1988)
1959年に9人の投資家を集めチームを建設。NFLでフランチャイズを申請したかったけど、拒否されて、AFLでボストン・ペイトリオッツというチームを立ち上げました。
1960年代に11回シーズンを過ごし、AFLとNFLの合併があった時にボストンからフォックスボロにチームを移転。ニューイングランド・ペイトリオッツと改名する。
1975年に株式の過半を獲得。翌年に100%所有し、正真正銘のオーナーに。
順風満帆なオーナーライフでしたが、ビリーの息子、チャック・サリバンが、マイケル・ジャクソンが所属する「ジャクソン・ファイブ」の「ビクトリーツアー」というビジネスに投資して大失敗をし、オーナーシップが転覆。
ビリーは救済に動きましたが、損害は大きすぎました。1985年にビリーは、チームとスタジアムの所有権の売却を検討。当初、マイケル・ジャクソンに救済を求めましたがうまく行かず。一般公募では価格が合わず、リーボックのCEO、ポール・ファイアーマンに売却の提案があったり。
最終的に、株式は$83Mでビクター・キアムに売却が決定。スタジアムは現オーナーのロバート・クロフトに売却。これで、損失の補填ができました。この後、サリバンは1992年まで社長業をキアムの元で取り仕切っていました。