アフリカ系アメリカ人で全体1位指名を受けた最初のQB。才能や能力だけでいえば圧倒的な実力があった。輝かしいフットボールライフであるが、プライベートでは闘犬賭博事件を起こし、彼はNFLのみならずアメリカ社会全体から排斥される事となる。
「NFL選手はアメリカ人の手本であれ。」というリーグのモットーに反する人物だが、純粋なアスリートとしての能力はピカイチ。キャリアは15年あるけど、そのうち2年間は刑務所で過ごしている。
マイケル・ヴィックの年表
1980年 バージニア州ニューポート生まれ
1997年 高校生,全米ナンバーワンQBに選ばれる。
1999年 バージニア工科大学入学
2001年 ドラフト全体1位(ファルコンズ)
2001年 MLBコロラド・ロッキーズからもドラフト指名受ける
2007年 闘犬賭博で逮捕 NFL無期限出場停止
2008年 破産 刑務所
2009年 7月に出所 出場停止解除
2009年 8月イーグルスと契約締結
2010年 イーグルスでプロボウル選出
2014年 NYJETSに移籍
2015年 PITスティーラーズ移籍 引退
02-04-05-10の4年間プロボウルに選出。2010年にはカムバック選手賞も受賞。40yds 4.33sの俊足の持ち主で、パッシングydsだけでなくラッシングで6,109ydsも稼いだQBです。
アトランタ・ファルコンズ時代
2001 / R1 / Pick1 / バージニア工科大学
2001年ドラフト1位指名で、アトランタ・ファルコンズからデビューする。ルーキーイヤーではパス成功率が40%台と散々な結果になるものの、持ち前の俊足でランを稼ぐ。「元祖モバイルQB」として注目を浴びる。
翌2002年はエースQBの座を獲得。「2002年はヴィックの年」と言われるほど、NFLからも注目をあびる選手として活躍し、チームはプレイオフまで進出した。(この年は同地区のタンパベイがスーパーボウル優勝)。2004年に地区優勝を果たすも、それ以降は低迷が続く。 この後2007年に闘犬問題発覚。2年間のNFL欠場(というか禁固刑)の後、2009年にフィラデルフィア・イーグルスと2年契約を果たす。
出所後のマイケル・ヴィック
2009年に刑務所から出所。2008年にアトランタにはQBマット・ライアンがフランチャイズの代表として認知されており、古巣に戻ることは叶いませんでした。
他のチームと交渉をするもマイケル・ヴィックと契約するチームはいませんでした。結果、フィラデルフィアが興味を示し、イーグルスのメンバーとしてNFLに復帰することができました。当時はQBドノバン・マクナブのバックアップとして頑張っていました。
2010年にHCアンディ・リードからコーチングを受け10勝をあげ、地区優勝を果たします。当時プロボウルにも選出され、あれほどの事件を起こした当本人にも関わらず、全体投票2位でプロボウル一軍選手になりました。
翌2011年にフィラデルフィアと新規契約。しかも6年1億ドルという破格の契約でした。これはトム・ブレイディ、ペイトン・マニングに次ぐ現役三位の契約金額。彼のQBとしての能力の高さが窺い知れるというものでした。
当時のフィラデルフィア・イーグルスは彼以外にもプロボウルに選ばれる選手が多数在籍していて、ドリームチーム、いよいよスーパーボウルを制覇できるかと大きな期待を寄せられていたのですが、2011年以降のヴィックは怪我に次ぐ怪我。結局2013年には放出が決定し、フィラデルフィアは大きなデッドキャップを抱えることになってしまいました。
その後2014年にJETSと1年間のみ契約。エースQBジーノ・スミスの教育係として控え選手登録。1年間の在籍でジェッツからも放出が決定。恩師アンディー・リードとの再会は感動する写真ですね。
最終は2015年8月にピッツバーグと契約。イーグルスとの契約は6年110億円でしたが、最終年度のピッツバーグとの契約は単年9,000万円ほど。
2017年の2月に引退を表明。これが彼のフットボールヒストリーです。