ポール・ブラウンは、NFLの歴史のなかでもトップクラスに優秀なコーチです。いまでいうベリチックHCくらいアメフトにすべて捧げたといってもいい人。
今回はそんなポール・ブラウンさんをまとめてみます。
日本でもっとNFLが浸透しますように。
- 戦略・分析・知性・厳しさで有名な人
- スカウトチームを初めて作った人
- ブラウンズのチーム名の由来になった人
- ブラウンズを解雇されて、ベンガルズを作った人
- ベンガルズのホームスタジアムの名前になった人
- ヘルメットラジオを開発した人
- ドロープレイを開発した人
- QBポケットを開発した人
- フェイスマスクを開発した人
- かなりケチで有名な人
- まとめ
戦略・分析・知性・厳しさで有名な人
いまでは当たり前のことですが、アメリカン・フットボールに高い次元の知性を持ち込んだのがポール・ブラウンです。彼以前のフットボールは、戦略を立てるコーチは数人しかおらず、基本的には「フィジカルで吹っ飛ばせ!」というパワー系の人が多かったそうです。
しかし、ブラウンはフットボールの近代化を目指しました。プレイをビデオで振り返り確認し分析をする。今では当たり前どころか不可欠な作業ですが、これをやったのもブラウンが初めて。
ポール・ブラウンは、選手に学ぶことを押し付けました。アスリートでありさえすればいいと思っていた選手からすると、大学生時代よりも勉強しろ覚えろ、考えろ、理解しろと言われる毎日。彼らからすると試合の日よりも、練習の時間のほうが苦悩だったのかも知れないです。
スカウトチームを初めて作った人
分析や観察を重点しているため、ポール・ブラウンは常勤のコーチングスタッフを初めて雇った人としても有名です。これには相手を分析するスタッフも、カレッジでの学生を青田買いするスカウトチームもです。このやり方は他のチームすべてにコピーされ現在でも残っています。
ブラウンズのチーム名の由来になった人
クリーブランド・ブラウンズがこの世に誕生したのが1946年。今から74年前です。当時地元にチームを作ろうとした時に、誰をコーチにするか議論が生まれました。白羽の矢が立ったのが、オハイオ州立大学→グレート・レイクスネイビーのHCとして評価の高かったポール・ブラウンでした。
「ブラウンさんをHCにするから、チーム名もブラウンズにしよう!」ということで、チーム名が決定。チームカラーが茶色だから、、、だと思ってましたが、これは人の名前が由来だったんですね。
1946年にHCに就任して、1950年、1955年、1956年にワールドチャンピオンになってます。今で言うスーパーボウルを3回制覇という印象です。めちゃくちゃ強いイメージですね。
ブラウンズを解雇されて、ベンガルズを作った人
ブラウンズのオーナーだったアート・モデルとHCとして無双のポール・ブラウン。写真をみてもわかるように、HCのほうがかなり年上。年の差が20歳くらいです。さらにワールドチャンピオン3回ですから、オーナーよりもHCのほうにチーム運営の権力が遍重していったんですね。チームの運営についてガンガンぶつかるふたり。権限を全くオーナーに移譲させないポール・ブラウンに、ついにオーナーは解雇を通達します。
ぶらぶらするのも悔しいブラウンは、NFLの夢を諦めきれず、新チームを創設します。それがシンシナティ・ベンガルズです。 このあたりの経緯については、別記事にもまとめています。こういう流れでできたチームですから、ブラウンズとベンガルズの間では選手のトレードなどは、しばらく行われなかったそうです。(今では普通にされてます)
ベンガルズのホームスタジアムの名前になった人
ベンガルズを作ったポール・ブラウン。今では息子のマイク・ブラウンがオーナーとして経営しています。創業者の名前はスタジアムの名前になって生きているんですね
竣工したのは今から20年前の2000年8月。かつてはMLBと兼用してたんですが、球団経営が右肩上がりで安定してきて、フットボール専用のスタジアムをもつことができたようです。
多くのチームはスタジアムにネーミングライツを募集するのですが、ベンガルズでは創業者の精神を大切にしようぜということで、募集は行わず、名前をポール・ブラウンにしているそうです。
ヘルメットラジオを開発した人
ポール・ブラウンの改革はチームの組織運営や戦略に限りません。彼は先端的テクノロジーをスポーツに導入することに積極的でした。当時小型化に成功したラジオをなんとヘルメットに貼り付けることを決定。
かつてフットボールでは、HCの決定したプレイをQBに伝える伝令役が存在しました。しかし、その時間がもったいないとブラウンは考えたのでしょう。これについても別記事に書いてます。よかったらそちらもどうぞ。
ドロープレイを開発した人
オフェンスラインが下がってパスプレイかと思わせ、LBを少し下げさせたところを、ランプレイでぐいっと攻める。ドロープレイと言われる作戦ですが、これもポール・ブラウンが発明したものです。
QBポケットを開発した人
OLが円を描くようにパスプロテクションをする。これをポケットといいますが、こういうプレイも、ポール・ブラウンが発明したそうです。5人いるラインマンを機能的に動かし、組織として成果をだせるチームづくりを目指した結果ですね。
フェイスマスクを開発した人
ある時、ブラウンズのQBがゲーム中に顎を怪我します。これに限らず、当時のフットボールは怪我が大変多く、その改善には皆が頭を悩ませていました。
そして、ポール・ブラウンがこういう風に改善をしました。この動きが広まっていき、各ポジションごとにフェイスマスクがデザインされていき、現在のような形になっていきました。
かなりケチで有名な人
こんなポール・ブラウンさんですが、大変なケチで有名だったそうです。HCだったんですが、GMの仕事も兼務していました。ブラウンとの交渉に成功した人は「1000ドルの契約が1000万ドルに思えた」というほどハードだったそうです。だからNFLで夢かなえたい!リッチになりたい!と願う若い選手たちには、このブラウンさんは、大変不人気だったそうです。
まとめ
NFLにいろいろな革命を起こした人物、ポール・ブラウン。彼は1908年の7月7日に生まれ、1991年8月5日に他界しました。NFLのヘッドコーチとしてワールドチャンピオンに3度輝き、解雇されるも不屈の精神でオーナーとして返り咲き、自身の名前をスタジアムに刻む。1967年にプロフットボールの殿堂のチャーターメンバーとして殿堂入りを果たしています。
様々な意味で、NFLの歴史をつくってきた偉人。ポール・ブラウンさんをご紹介しました。最後まで読んでいただきありがとうございました。