ウォルター・キャンプさんは、アメリカンフットボールの父と言われる人。アメフトの歴史上もっとも重要な人物といっていい。
というのは、彼はアメフトのルールを決めた人だからです。 彼が生きたのは1859-1925年。当時まだルールがしっかりと決まっていなかった。キャンプさんが整備したおかげで現在のスポーツがあるんですね。
今回の記事では「アメフトの父」と言われる偉人ウォルター・キャンプ氏を紹介します。
日本でもっとNFLが浸透しますように。
- アメフトの原初の姿は、ただの乱暴
- ルールができ出すのが1860年~70頃
- 19歳の少年がアメフトのルールを作った
- 【ルール①】アメフトは11人でやりましょう!
- 【ルール②】スクリメージラインを作りましょう
- 【ルール③】ボールは手で渡しましょう
- 【ルール④】ダウンシステム導入
- 【ルール⑤】前パスOK
- まとめ
アメフトの原初の姿は、ただの乱暴
アメリカン・フットボールの歴史を振り返りましょう。ただし遡りまくるとギリシア時代までいきますので、それはやめて、アメリカで生まれたタイミングから解説します。
アメフトも起源はヨーロッパのサッカーにあります。ラグビーはサッカー中に、ボールを手で運んだのが面白かったんで生まれたって話が有名です。アメフトはそこからの亜流変化です。
アメリカで始まったのは、プリンストン大学やイエール大学、ハーバード大学などです。時期は1820年。今から約200年前になります。
この時のルールは、大学ごとにバラバラで、とにかくボールを手で前に運んだら勝ちというシンプルなものです。だから基本的に試合は喧嘩になって、暴力と怪我が横行するひどいものでした。あまりに乱暴すぎて死人がでたので、ハーバード大学では禁止になった時期もあったそうです。
ルールができ出すのが1860年~70頃
あまりにもひどいもんだから、ちゃんとルール作ろうぜという空気が生まれて、なーんとなくルールみたいなものができました。(写真はプリンストン大学のものらしいです。)
【原型時のルール】
①チームは15人
②スクラムからスタートする
③前パス禁止
というもので、ラグビーの姿とよく似ていました。まぁそれもそのはず、ルーツはラグビーですから納得です。違うのは全てがスクラムを組んでからのセットプレーだったということですね。
これでもまだまだ、アメフトになってないですね。
1869年に初めて大学対抗戦が始まりました。写真はその最初となったラトガース大学とプリンストン大学の対抗戦の記念碑です。でも上記のようなルールですから、アメリカンフットボールというよりも、ラグビー試合みたいなものです。
19歳の少年がアメフトのルールを作った
さて、アメフト混迷期の1876年。イエール大学の1年生だった少年がウォルター・キャンプさんです。彼はアメリカン・フットボール・ルール委員会に、イエール大学代表として参加しています。
なんで18歳の少年が?と思いますが、彼はボート部でも野球部でもフットボール部でもキャプテンを務め、学業でもトップクラスの天才少年だったのです。彼が代表にならずだれがなる!というスター学生だったんですね。
【ルール①】アメフトは11人でやりましょう!
キャンプがルール委員会で、絶対に曲げなかったのが11人制というルール。現在でも11人でやりますね。この1880年くらいに決まったんですね。
写真みてますと、14人いますけど、これは多分サブメンバーか交代要員なんでしょうね。この当時はボールがまだ球体で、今みたいなラグビー型じゃありませんね。中心の髭の人がウォルター・キャンプ氏です。
【ルール②】スクリメージラインを作りましょう
キャンプさんがルールを整備する以前、アメフトはラグビーみたいに、実際にスクラムを組んで、足でボールを後ろに掻き出してました。キャンプはそれをやめて、スクラムを組んだことにした仮想ライン(Scrum Image Line | 現在で言うスクリメージライン)に、O#とD#を並べました。
【ルール③】ボールは手で渡しましょう
スクリメージラインができると同時に、ボールを足で掻き出すんじゃなく、手でQBにボールを渡すという現在のスタイルができます。これでセンターというポジションが決まり、QBというポジションが生まれました。
【ルール④】ダウンシステム導入
3回の攻撃で5yds進めないと攻撃権を失い、ターンオーバーする。今のアメフトでは当たり前のシステムです。キャンプが導入したこのルールで、アメリカン・フットボールはラグビーとも、サッカーとも大きく一線を画し独自の進化を遂げるのです。
これが導入されたキッカケは、プリンストン大学が、スクラム組んでばかりで攻撃せず、観ている側が全然面白くなかったからだそうです。無理やりにでも攻撃させるために、ダウンシステムが導入され、同時にO#とD#の両方の役割が明確になっていったんですね。
このルールは1882年に、サードダウンで5ydsでターンオーバー。次に1906年、3rd down,10yds に伸びました。しかし「3回で10ydsは無理、ちょっとしんどい」ということで、1912年に現在の4回の攻撃で10ydsというルールになってます。
【ルール⑤】前パスOK
ラグビーと決定的に違うのがもう一つ。前パスOKのルールです。ラグビーでは「スローフォーワード」というのは最も有名なファールですね。
別の記事にもまとめてますが、1905年ごろ大学の試合であまりにも死傷者が多く、当時の大統領から、「ルール改正しなさい」と命令が下されました。
当時、まだまだラグビーみたいなルールだったアメフトでは、中央部分のランプレイが激しく怪我人が多数ありました。そこで、ルール委員会にいた、ウォルター・キャンプとジョン・ハイズマンは、怪我人をへらすことを目的にして、前パスをOKにしました。
これでD#チームはどこにボールがいくかわからないため、人が分散することになりました。
またこの「前パスOK」によって、戦術がより複雑になり、プレイブックという概念が誕生します。このルールが、アメリカン・フットボールを特徴づける大きな変化を生み出したんですね。
まとめ
さて、ウォルター・キャンプさんが、「アメリカン・フットボールの父」と言われる所以、納得しましたー。こういう人がいたから、今のアメフトがあるんですね。僕も調べながら、大変勉強になりました。
キャンプ氏は、コネチカット州のニューブリテンで生まれ、1925年ニューヨーク市で65歳の生涯に幕を下ろしました。オハイオ州カントンのフットボールの殿堂に、彼は入っていませんが、ウォルター・キャンプ氏こそがアメリカン・フットボールの発明者です。なるほどですねぇ~。
こういう人がいるんだなと、思ってくれると幸いです。日本でもっとNFLが浸透しますように。