去る2018年の11月23日。ロバート・マクネア氏は81歳の生涯に幕を下ろした。死因は長年闘病してきた癌や、高齢からくる老衰と思われます。テキサンズのこれからは、ロバート氏の息子であるカル・マクネア氏がチームを継承し経営していく様子。
ここに彼の生涯を記事にし、彼の功績を讃え、哀悼の意を捧げたいと思います。
どうか日本でもっとNFLが浸透しますように。
- テキサンズ創設に尽力した人物
- ヒューストンにチーム復活を!エキスパンション会議
- テキサンズの黎明~発展
- ロバート&ジャニス・マクネア財団による地域貢献
- 次期オーナー 息子カル・マクネアと妻ハンナ・マクネア
テキサンズ創設に尽力した人物
かつてヒューストンにはオイラーズというチームがありました。
かつてヒューストンには1960年にバド・アダムスの手によって創設された「ヒューストン・オイラーズ」というチームがありました。同州にはダラス・カウボーイズや、ダラス・テキサンズというチームもあり、テキサス州は実にアメフト熱の高いエリアでした。
またオイラーズはNFLでも有数のチームだったので、地元市民たちの心の拠り所でもありました。しかし本拠地アストロドームがリーグ最小サイズで、観客動員数に大きな課題を抱えていました。
そのため1997年にオーナーのバド・アダムスはテネシー州ナッシュビルに移転を決定します。その後オイラーズは「テネシー・タイタンズ」と名称を変えて現在に至ります。だから、タイタンズの色がオイラーズに似てるんですね。
ヒューストンにチーム復活を!エキスパンション会議
しかし、アメフト熱冷めやらぬ地元ヒューストン。「どうしても俺たちの街にアメフトチームがほしい。」そう願っている市民たちの気持ちを代表するかのように、一人の男が声をあげました。それがロバート・マクネア氏でした。
1999年、候補地はロサンゼルス市に決定
ちょうど、2002年NFLに、新しく一つチームを作る方針が発表されておりました。トロント・ロサンゼルスに次いでヒューストンが候補地として俎上にのりました。しかし、1999年3月に開催されたオーナー会議では、ヒューストン案は棄却され、ロサンゼルス案が可決されました。
逆転勝利!テキサンズの誕生!
だがなんと!ロサンゼルスチームのその後が上手く運ばず、当初案が振り出しに戻りました!そして改めて10月にオーナー会議が開かれ、満場一致でヒューストンでの新チーム設立が承認され、テキサンズ誕生が決定!また同時に2004年にスーパーボウルの開催も決定しました。
テキサンズの黎明~発展
NRGスタジアムの建設
マクネア氏の情熱を原動力に、2002年のチーム創業に向けて事業が始まりました。マクネア氏が最初に手がけたのは本拠地スタジアムの建設工事です。NRGスタジアムは、2000年に着工しました。
NFL史上初の開閉式屋根を持つ天然芝のスタジアムで、総工事費は400億円ほどだったそうです。設計は米国4位の規模をもつ設計事務所HOKが担当しました。隣接にオイラーズが本拠地で使用していたアストロドームがまだ現役で活躍しています。
主要選手の獲得
ドラフト1位でQBデヴィッド・カーを取得するも、勝てない日々が続きました。最下位と3位ばかりのシーズンを重ねてきました。
テキサンズが初めて地区優勝を実現したのは、2011年に怪物DL、J.J.ワットを獲得した後でした。その後4回もプレイオフ進出を果たします。マクネア氏は皮膚がんを患っており、癌と戦う日々の中で、選手を慰労し、NRGスタジアムに足繁く通ったらしいですね。
ロバート&ジャニス・マクネア財団による地域貢献
彼の妻ジャニスと連名で設立したファウンデーションは、医療関係・教育関係の後進開発や人材育成を目的として運営されています。マクネアファミリーはビジネス分野、不動産開発、スポーツ分野、また医療教育分野、様々な形でヒューストンの発展に貢献をしてきました。ロバート・マクネア氏の死去というのは、ヒューストン市にとっても大きな出来事ですすね。
次期オーナー 息子カル・マクネアと妻ハンナ・マクネア
息子のカルさんは、今までも副社長兼COOとしてチーム経営に大きく関わってきました。父親がオーナーなので、事実上彼が今まではオーナーの代弁者として、チーム運営をしてきた形。これから名目とも正式なオーナーです。年齢は51歳。これからの経営手腕に興味深い。