NFLの歴史上、初のアフリカン・アメリカン。つまりNFL初の黒人選手がこの人、ウォレス・トリプレットさんです。先日2018年11月8日に92歳の生涯を閉じました。
ペンステート大学出身
郵便配達員の息子として産まれたウォレス。生まれはペンシルバニア州、フィラデルフィアの郊外、ラモットという街でした。高校時代から才能のある姿を見せていた彼を、なんとか大学に行かせたいと思った友人は、彼を白人としてマイアミ大学に紹介。大学は、これほどの才能ならと奨学金の手筈をつけていた。
しかし、黒人であることがどこかで判明し、スカラーシップは取り消しになり、マイアミ大学進学はボツになる。代わりにペンステート大学から、セネーショナル奨学金が決定。1945年の秋に、ペンステート大学ライオンズでプレイすることが決定。
初めて黒人選手がペンステート大学のフィールドに立った。先のマイアミ大学は、「黒人選手がいる大学とは試合しない」とゲームをキャンセルする。当時は黒人差別がまだ色濃く残っていたんですね。
トリプレットの才能は素晴らしく、黒人初のコットンボウル出場も果たし、NFLからドラフトされることになる。
デトロイト・ライオンズへ
ライオンズには第19巡、全体182位で指名され、プロ選手になりました。当時ドラフト外で選手登録されている黒人が2人いました。トリプレットはドラフトで指名され、またフィールドでプレイした初の黒人としてNFLに名を残しました。
1950年の10月29日に開催されたロサンゼルス・ラムズ戦。トリプレットはキックオフリターンで97ydsのタッチダウン。1試合合計で、キックオフリターン294ydsという驚異の記録を出しました。これは現在でもNFL2位のレコードです(1位は一試合で304yds)
朝鮮戦争へ
1950年シーズンが終わると、彼は陸軍に徴兵され朝鮮戦争へ向かいました。兵役を終えた彼をライオンズはカーディナルズにトレード。1953年にウォレス・トリプレットは引退を決意しました。
引退後はクライスラー社のマネジメントと、金融関係の教師として精力的にデトロイトの活性化に貢献しました。
2018年11月に死去
そして2018年11月、92歳でその生涯を閉じました。軍に貢献し、チームに貢献し、黒人の地位向上に貢献し、街の発展に貢献し、アメリカの成長に貢献した偉大なるウォレス・トリプレット。彼を悼む声がフォード・フィールドに集まりました。
「ライオンズのレジェンドプレイヤー」として、彼の功績が展示されています。お亡くなりになった今、全ては遺品なのですが、これらを通して誇り高い生き方を教えられるような気がします。
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