ピッツバーグ・スティーラーズの名選手。QBテリー・ブラッドショウらと共に、PITスティーラーズ黄金時代を築いた一人。スーパーボウル4度優勝、プロボウルには5回選出され、NFLの長い歴史上でもベスト・コーナーバック何じゃないか?といわれてます。
メル・ブラントの年表
1948年 ジョージア州のトゥームス市で誕生
1970年 3巡全体53位でPITから指名
1974年 第9回SB優勝
1975年 第10回SB優勝
1978年 第13回SB優勝
1979年 第14回SB優勝
1983年 引退
高校時代は野球にバスケ・陸上と多種競技をこなし、アメフトも同時並行でやっていた。サザン大学からスカラーシップを受けて進学し、大学ではセーフティを中心として、DB全般をプレイ。
1970年ドラフトでスティーラーズから指名。この当時、スティーラーズは弱小軍団でミーン・ジョー・グリーンを獲得してからチーム改革が加速。メル・ブラントも改革の重要人物だった。プロでは1972年からスターター。ここでCBに正式にコンバートされます。
彼のキャリアのハイライトは1975年シーズン。インターセプト・リーダーになり、最優秀守備選手賞(D#MVP)を受賞。スーパーボウルも優勝しリーグ最高のセカンダリーの名を手に入れました。
メル・ブラント・ルール
1970年代、スティール・カーテン擁するピッツバーグ・スティーラーズがあまりにも強かったため、戦力の均衡を図ろうと、当時の委員会が考えたルールがあります。
それは現在でも適用されてるルール、「バンプ・アンド・ランカバレッジは禁止」というものです。
これはメル・ブラントが得意技としていたもので、レシーバーがルートランに入る前に、バンプ(手で押すこと)して、QBとのタイミングをずらし、ルートから外す技です。(スクリメージラインから5ydsは接触OK)
メル・ブラントがあまりにも驚異的だったのでしょう。当時の委員会はこれを適用し、世間では「メル・ブラント・ルール」などと言われたそうです。
しかし、このルール適用後、もっとも成果をあげたのが、皮肉にもスティーラーズでした。WRにガンガンパスを通し、もう一度スーパーボウルリングを獲得したのです。
引退後のメル・ブラント
1989年にプロフットボールの殿堂入りを果たします。スティーラーズ黄金世代からHOFになってる人は本当にたくさんいます。素晴らしい世代ですね。
自身で設立したメルブラント・ユースホーム(財団法人?)で地域貢献活動を続けています。
引退後も自分がプレイしたPITが気になるようで、何度もハインツ・フィールドに足を運んでいるようです。現役の選手たちからすると、本当に小さい時の憧れの人物。顔をみるだけで気分が高揚し、やる気がでる。素晴らしいモチベーターですね。
メル・ブラントの息子アキルの話
息子のアキル・ブラント(Akil Blount)もスティーラーズで契約した!とのNEWSが2017年に流れてきました。父親と同じくディフェンス、彼はラインバッカーのようです。しかし、彼は父親ほどの才能に恵まれなかったようで、NFLでは芽が出ませんでした。
2016年にドラフト外でドルフィンズと契約するが、2017年にスティーラーズと契約。そして現在はNFLでなく、AAFというプロリーグにあるオーランド・アポロスというチームでプレイしています。