NFLを代表するレジェンドの一人。RBのウォルターペイトンを紹介します。今から約40年前に活躍していたフットボール選手です。ダラス・カウボーイズのRBエミット・スミスに破られるまでは、彼の通算16,726ydsラッシュはNFLレコードでした。彼の名前は聞いたことあるけど、詳しく知らないですよね。どんな人物なんでしょう。掘り下げてみましょう。
ウォルター・ペイトンの概要
勝利への執着が強く、「絶対スーパーボウルを目指すべきだ!」と周囲を発奮させ、ついに引退の2年前、対するペイトリオッツを撃破し第20回スーパーボウル優勝を実現。
どんなときもチームの精神的支柱として貢献し続けました。また自分に対しても実に厳しくトレーニングを課す人で、誰よりも練習した人物として有名です。
そしてプレイはとにかく熱い。ボディバランスがいいのか、根性があるのか分かりませんが、一人二人のタックルでは倒れません。セカンドエフォートの素晴らしい熱さをもった選手。
彼の功績が讃えられて現在では「ウォルター・ペイトン・マン・オブ・ザ・イヤー」と、名前が冠されています。
ウォルター・ペイトン(Sweetness)の年表
1954年 ミシシッピ州コロンビア生
1971年 ジャクソン州立大学進学
1975年 シカゴ・ベアーズ全体6位
1977年 NFL最優秀選手賞受賞
1985年 第20回スーパーボウル優勝
1988年 1月10日 現役最後の試合
1988年 シカゴ・ベアーズ取締役就任
1993年 エキスパンションチームの一員
1993年 NFLの殿堂入り
1996年 NCAA(CFL)の殿堂入り
1999年 胆管がん、45歳で亡くなる。
ウォルター・ペイトンの実績
キャリアラッシング 16,726yds
ラッシングTD110本
レシーブ492回、4,538yds獲得15回TD
ランパス合計100yds以上獲得連続108試合
RB連続出場186試合
【他にも数々の実績(記録は次の選手に破られている)】
10シーズン1,000yds超えラッシュ
1試合で275ydsラッシュ獲得
77試合連続100yds超ラッシュ
獲得スクリメージyds 21,264yds
通算ラン回数4,368回
いやはやすごいですよね。
引退後のストーリー
引退セレモニーはもちろん、シカゴ・ベアーズの本拠地、ソルジャー・フィールドで開かれました。
試合と同じジャージ、ヘルメット、グローブ、スパイク、タオルをつけての登場。オーナーのパパベアも彼の功績を後世に残す決意を込めた肖像画をプレゼントしました。同時に、スタジアムのベアーズロッカーから、フィールドにでる通路を「ウォルター・ペイトン・ウェイ」と名前をつけました。
そして同年1988年、彼はシカゴ・ベアーズの取締役に就任します。選手としての引退と経営者としての就任が同じ年に行われたのは、彼が最初で最後だと思います。
その後、1993年にNFLで新チームを作るエキスパンションがありました。彼はそのチームの一員でした。彼がオーナーになる可能性は実に高かったらしいです。ですがそれは叶わずNFL初の黒人オーナーとはなりませんでした。この時にできたのが、カロライナ・パンサーズと、ジャクソンビル・ジャガーズです。
その後、1993年にNFLのプロフットボールの殿堂入りを果たします。1996年にはカレッジフットボールの殿堂入りします。彼の肉声は、NFLのHOFにアーカイブされています。
45歳の若さで彼は胆管がんのため、亡くなりました。彼の功績を悼み、数多くの方が慰問に駆けつけました。葬儀はシカゴ・ベアーズのソルジャー・フィールド。彼が活躍した舞台であり、彼の引退セレモニーの舞台です。
ウォルター・ペイトンは素晴らしい人格の持ち主でもありました。そんな彼の生前の功績をたたえて、地域に貢献した人物を賞するマン・オブ・ザ・イヤーの名称に、「ウォルター・ペイトン・マンオブ・ザ・イヤー」と彼の名前が冠されるようになりました。
現在彼はシカゴの名誉を代表する人物として、NBAシカゴ・ブルズのマイケル・ジョーダンと並んで地域から讃えられています。本当に素晴らしい人物ですね。